黒い髪でギターを弾いて歌っていた君
東京に行って服装が派手になっていった
金髪になってピアスもつけている
歌は変わらず歌っている
投稿は昔よりもメンヘラのよう
東京に染まったのか
東京に染まりに行ったのか
無垢な笑顔で笑ってた君はいない
寂しさもあるけど
今の君も美しいと思った
そんな一日
黒い髪でギターを弾いて歌っていた君
東京に行って服装が派手になっていった
金髪になってピアスもつけている
歌は変わらず歌っている
投稿は昔よりもメンヘラのよう
東京に染まったのか
東京に染まりに行ったのか
無垢な笑顔で笑ってた君はいない
寂しさもあるけど
今の君も美しいと思った
そんな一日
諸君、私だ。
あれからというもの私は穏やかでない日々を過ごしていた。
荒れ狂う海を航海し、ついに見つけたのだ。
私だけのお宝を。
なんていうことは全くなく、普通に仕事して普通に土日を過ごしてました。服の整理ができずに落ち込んでいた先週とは違い、元気で健やかな土日を過ごしていた。しかし、私は何もしなかった。正確にいうと洗濯とご飯とお風呂といった日常は過ごしたのだが、服関連の事は一切手をつけていない。先週はあんなにも出来ずに苦難したというのに、元気になったらすぐこれだ。そろそろやるか〜と思いながらYouTubeをつけ、ダラダラと惰性を貪り、結局やる気は出なかったので、U-NEXTを起動してしまった。そういえば、普段は私に対しておすすめなんてしない友人がおすすめしてきたのを思い出したので、『チ。』を観てみた。地動説うんたら〜くらいの内容しか知らなかったので話題作りにもなるかと思い、土日を使って全ての話を見ることにした。
そして、私は『チ。』を見て少し特別な体験をすることになる。
ちなみに内容は面白かった。おすすめ?と聞かれたらおすすめと答える。アニメの詳細な内容には触れないが、少しネタバレを含んでいるので『チ。』の全てを新鮮に楽しみたい方はここで引き返してくれるとありがたい。
『チ。』には人と人との繋がりを感じる場面が多くあった。意図した繋がり、意図していない繋がり、偶然とも奇跡とも呼べるような繋がりを感じた。地動説をメインにたくさんの人生の選択を目にしたような気持ちになれたのだ。
そしてここからが本題である。
『チ。』の話の終盤に出てきた単語で私の鼓動は大きく高鳴った。
最近どこかのブログで見かけた単語が出てきたのだ。
私はそのブログを読んだ時に、その単語の意味を調べて「へぇ〜なるほど、こんな言葉を使うなんておしゃれな人だな」なんて思ったものだ。それを書いた人が誰だったのか覚えていないし、探せば見つかるやもしれぬがそこまでする必要もあるまい。とにかく、そのブログを書いた人は『チ。』の話を全くしていなかった。
「チ。で出てきたこの単語なんだけど〜」と言ってくれていたのなら、私だってアニメを観ながら(なるほど、ここで出てくるのか)と思えただろう。しかし、そのブログの人は『チ。』の話をしていなかったのだ。
話題のアニメだし、関連なるワードや感想を綴るブログはたくさんあるだろうし、よくある話で片付けられるかもしれないが、私にとっては予想外の角度からその単語が飛んできた。そして、私の鼓動は大きく高鳴ったのだ。
私はあのブログを適当に選んだし、気になる全ての単語を調べるわけでもない。けれどもあのブログを読んでいなかったら、もしあのブログの中で筆者が『チ。』ってワードを出していたら、もし私がその単語を調べるまでしていなかったら、もし『チ。』を観ていなかったら、もしやる気を出して服を整理していたら、他にも些細で気にもならないような、たくさんの要因があっただろう。そのどれか一つが欠けるだけで、私のこの感情や繋がりは生まれることはなかったのである。
私は見ず知らずの誰かと思いもよらぬ方法で繋がったのだ。
ブログを読むという特別でも何でもない過去と惰性の果てに行き着いたアニメを観るという現在が交わり、確かに繋がったのである。
アニメみたいに大きな繋がりではないが、私の世界で私だけが見つけることができた小さな偶然、小さな奇跡だ。それは誰のものでもなく、確かに私だけの特別な体験だった。
書きながら何を書いてるかわからなくなってきたので簡潔に伝えると、たまたま知った単語が『チ。』に出てきて、世界は繋がってるって実感できて何か嬉しかった。ってだけの話なんだけどね。
私のなんてことない世界がどこかの誰かのなんてことない世界に繋がってくれたら嬉しいのだが、偶然だからこそ美しいのかもしれない。意図した物はまた別の美しさな気もする。
ブログの終わり方っていつも悩むけど、今日はここで終わらせてもらおうと思う。
ここまで読んでくれた読者にほんの少しの幸せと、ほんの少しの特別な体験が起こる事を願って、また次回の更新を頑張ろうと思う。
もうすぐ4月だ。学生の頃は一年の中でも特別な月だった。入学式にクラス替え、仲のいい友達や気になるあの子と同じクラスになるかなとワクワクした記憶が蘇る。そして社会人になる不安と葛藤。新社会人になった時は、これから私の未来はどうなっていくのだろうか、うまく馴染めるだろうかとワクワクした。様々な期待と不安があったような気がする。
それも遠い過去のこと、今では『ふーん、4月ね』くらいにしか感じなくなってしまった。むむむ。なんだか損している気がする。あの頃の特別感を無理矢理にでも再現したい。何もかもにワクワクし、様々な未来を思い描いていたあの頃の4月を取り戻したい。私にもワクワクを分けてもらう、無理矢理にでも奪い取ってワクワクしてやる。不安は要らないので返却します。
ワクワクを取り戻す為に私は新年の目標とは別に新年度の目標を決めてみようと思ったのである。これをみているアナタ、そうアナタだ。私と共に新年度の目標を掲げてみないか?きっと今よりも更に有意義な一年を過ごす事ができるであろう。我に続け、ワクワクの世界はすぐそこまで来ているぞ。なんて事を言ってないで、目標を決めよう。新年度を特別にする為の目標なのでなんでもありだ。思いついた事はなんでも書いてみる。長くなるかもしれないので、引き返すならここである。
という事で、まだまだ書き足りないが眠くなってきた。これだけ目標を掲げたら何個かは達成するだろう。小賢しいかもしれないが達成しない目標だけではワクワクしないのだ。禁煙とお金を極限まで使わないってのは頑張ってくれると嬉しい、がんばれ未来の私。応援してるよ。
新生活がやってくる。私はワクワクする準備が出来た。4月がくるのが待ち遠しい。
ここまで読んだ人は到底いない気がするのだが、ついついスクロールしてしまった読者にほんの少しの幸せと素敵な新生活が訪れる事を願って、また次回の更新を頑張ろうと思う。
私は驚いた。今日で一週間。先週の私は来週には書かなくなると本気で思っていたのだ。人生は予想外の出来事が起こるというのは時々感じていたのだが、これは予想だにしなかった。
しかし、ブログライフに終焉の鐘が鳴りそうだ。これは由々しき事態である。ブログを書く事はもちろん初めてなのだが、読む事もほとんどしてこなかった私は、他の人のブログを読んでいるうちに『私のブログはなんだかなぁ』という気持ちになってしまったのだ。いっそ、通りすがりのお姉さまに『こらこら、もうブログはお辞めなさいな。アナタはその方が幸せよ』と言われたいものだ。そのままお茶でもして、知りもしない芸術について語らうのもいいだろう。
そもそも気持ちを吐く場所がないから初めてみたとは言ったものの、ゆるりと面白おかしく素敵で優雅な雰囲気のあるハッピーなマイライフを書き綴る予定がどうも初手からその方向ではない道を歩んでいる気がする。むしろ全速力でそちらから遠ざかっていると言った方が適切であるといえよう。書いたのは私なので文句は言えない。クレーム対応の専門家ならこの問題でも解決できるのだろうか。依頼料はいくらなのだろうか?給料日だし、依頼してみよう。
もう一つ大きな問題がある。勝手にやっている事なので『どうか書いてください。お願いしますよ先生』と言われているわけでもないだが、何かのプレッシャーのような感覚がある。はてさて、こいつはなんなのだろうか。考えても答えは出てこない。
そこで、私なりに少し考えてみた。プレッシャーのないハッピーなマイライフブログにするのはどうしたらいいのだろうと。今からでも借金とかの話は無かった事にしてみるのはどうだろうか。否、手遅れである。それならば、なんかマカロンとか食べたよってブログを更新したらハッピーな気がする。あとは美術館に行ったり、ふとした瞬間をカメラに納めてみたりするのもハッピーな気がする。手作りお菓子を作り子どもに食べさせたりするのもいいだろう。これからは花見の記事で溢れることになる、そのどさくさに紛れて花見の記事からハッピーなマイライフブログにしてやろうとも画策している。
なんとなくそんな記事が羨ましくて書いてみたものの、私はマカロンを食べたことがないし、美術館には学生の頃に行事で行ったのが最後だ。独身なので手作りお菓子を子どもに食べさせるのは逮捕されてしまう。花見はありがたい事に誘ってもらったので、写真を撮って更新してみようか。これならハッピーなマイライフブログに近づけそうな気がする。私のことだ、当日には忘れてる。頼むよ私。あとこのブログ文字詰めすぎで読みにくいよ。ゆとりある方が絶対読みやすいんだから。みんな割と空間あったよ。余白への憧れどこいった私。あと『なのだ』が多いよ、なのだなのだってハム太郎なのか。てかそもそもハッピーなマイライフブログってなんだ。
睡眠時間を削ってまでこんな碌でもない事を書いているのが楽しいと感じている。プレッシャーを解き放って適当な文を書いてみようとしたら案外すんなり出来た。私のブログライフ、まだまだ続けられそうだ。睡魔に支配される寸前で書いているので、読みにくいかもしれないが許していただこう。なんたって今日はブログ開始から一週間記念日である。日付は過ぎた気もするけど。
ここまで読んでしまったハッピーな読者にスペシャルハッピーが訪れる事を願って、また次回の更新を頑張ろうと思う。
最近このワードに囚われている。余白に憧れているのである。
余白のある暮らし、人生に余白を持たせる、余白を持つことの大切さ。余白はきっと私を幸せな暮らしへ導いてくれる。ある種の宗教じみた思考が加速した。
私の中で余白のある暮らし=シンプルな暮らしと大まかに定義されている。散らかった部屋、物が多い部屋で忙しなく過ごすのではなく、物が少なく、整然とした部屋でゆったりと心地よく過ごす。食事もきちんと摂り、洗濯や掃除も欠かさずに行う。ミニマリストやその類も私の中では同じ括りにいるのだ。
気持ちの余白=何かに追われる事もなく、緊張や焦燥感とは別の所にある感情。心にゆとりや余裕のある状態と定義している。これが世間と同じ意見なのかはわからないがおおよそ当たっていると思う。
私は、余白を持たせる為に部屋の掃除を行い、不要な物を減らし、整理してみようと考えた。仕事中もその考えは消えることなく、余白への好奇心は増すばかりだ。全てを一度にやるのは難しいので、部屋の掃除は毎日少しずつ行い、不要な物の整理は土日にしようと決めた。これが先週の事である。
ところが、金曜に喉を痛めてしまい、その後は私の予想通り熱が出た。風邪を引いたのだ。土曜日から日曜日にかけて熱が下がることはなかった。けれど余白を作りたい気持ちで溢れている私は熱がある中で不要な物の整理をしようとした。結果はうまくいかなかった。ぼーっとする頭ではうまく考えがまとまるはずもなく、何一つ進む事なく時間が過ぎていった。
なんでうまくいかない。予定はしっかり立てたのに。
なんで風邪を引いてしまうのだ。なんでこうもうまくいかないのだ。
なんでいつもこうなるのだ。なんでこのタイミングで風邪なんて。
なんで、なんで、と私の思考は黒くなっていった。
風邪による身体の重さと共に、漆黒の闇へと沈んでいった。
気がつくと眠っていたようで、目が覚めると冷静さを取り戻していた。ナンテコッタイ!余白を作るために、焦燥感に駆られたのである。心の余裕なんてものは無く、心の隅々にまで感情が蔓延っていた。本末転倒も甚だしい。それからは諦めて布団で映画を観ていた。「ボスベイビー」が目に入ってなんとなく流してみた。めちゃくちゃ最高だった!という訳ではないが、面白かった。(私も赤ちゃんになりたいなぁ)とかしょうもない事を考えながら他の映画も観てやろうと思ったが、睡魔に襲われ眠ってしまった。その後は、特にやれる事もなく、寝て起きてを繰り返していたら休みが終わった。
たくさん寝たおかげなのかはわからないが、熱が下がっていた。休んでしまおうかと迷ったが、気怠い身体に鞭を打ち、会社に出勤した。昨日の暗い気持ちはどこかに吹き飛んでいた。
そして今、仕事終わりに間接照明をつけて、良さげな雰囲気のBGMを流しながらブログを更新している。雰囲気だけは一丁前なのである。
部屋の掃除はまだまだできていないし、不要な物の整理も何一つ進んでいないが、まぁいいや。土日で風邪を治して仕事を休まずに出勤した私はとても偉い。それだけでも私にとっては充分すぎる。余白作りはこの身体の怠さがなくなってから始めようと思う。今の私には、心の余白がある気がする。余白難すぎワロタである。
ここまで読んでくれた読者にほんの少しの幸せが訪れる事を願って、また次回の更新を頑張ろうと思う。
喉が痛い。昨日から喉が痛い。季節の変わり目だから仕方ないと言われるだろうが、この痛みは許せない。手洗い、うがいをしっかり行い、喉が渇く前に緑茶を飲んでいるのにも関わらず喉が痛い。何も対策をしていないのであれば納得できるが、私は最善を尽くした。最善を尽くしたのだが、喉の痛みが勝利を収めたのである。ここからは症状が悪化し、風邪を引く未来しかみえない。クソッタレ。栄養が足りていないのではないかと思うのだが、それは無視することにする。喉の痛みのせいで気持ちが憂鬱になってしまった。この憂鬱を伝染病の如く流行らせてやろうという気持ちで今日のブログを更新することにした。
私は借金をしている。最初の投稿でも話したが、すぐ返せるなんて到底言えないおぞましい額だ。深く考えたら明日にでも世界の破滅を願うほどの額である。なんとなくの金額はわかっているのだが、詳細な額は把握しないようにしている。長期計画が出来るほど優れた人間では無いし、把握することが大切とよく言われているが、私は少し逃げる方が生きやすいのである。完全に目を背けてしまうと人生が本当に詰んでしまう気がするので、片目を開けてそーっと見るかのような感覚で向き合っている。
人の不幸は蜜の味というならば私は相当に甘い蜜を出している。垂れ流し状態だ。せめて毒性がある事を祈るしかない、その蜜を舐めた人が痺れて眠りについた際には隣で裸踊りを踊ってやろうと密かに企んでいる。
世間では借金と聞くと凄まじい反応が返ってくる。ほんの少しSNSで検索すると『どうしようもないクズ!』『計画性がないだけ』等と例を挙げるだけでもキリがないほどの厳しい意見を目にするが、全くもってその通りだと思う。と肯定しておこう。私の意見を押し付ける気など元々ないのだ。世界中に嫌われている借金だが、私は借金に生かされてしまった。鬱で気持ちが沈み、ろくに動けずにもうどうにでもなれと思っていたあの日々を救ってくれたのは間違いなく借金である。そして、現在の私を苦しめているのも借金である。残念ながら私と借金はどうも奇妙な縁で結ばれているらしい。どうせならば絶世の美女と結ばれたかったものだ。
私は25日が給料日なのだが、それ即ち返済日である。たくさんの返済を済ました後に残るのはおおよそ大人が貰って喜べるような金額ではないのが現状だ。しかし、思ったよりもダメージは少ない。人生を諦め、返済することもままならなかった私が今は生活に困窮しながらも返済できている。きっと私は進化したのだろう。あるいは悟りに一歩近づいたのかもしれない。欲にまみれた私が悟りなんてのはおかしな話だが、意外と悟りは身近に存在しているのかもしれない。書いているうちにスピリチュアルな香りがしてきたのでやめておこう。
今日のブログを書き始めた頃は憂鬱で世の中の全ての人が喉からくる風邪を引くようにと願っていたのになぜだかスッキリしてしまった。これは素晴らしい発見だ。ブログを書くことには呪いを打ち消す効果があるのかもしれない。
【心の風邪はなんて事ない出来事でスッキリする】
いい感じのフレーズが思いついたので私は満足した。そうだ、これをタイトルにしよう。
明日は休み。今から薬局に行って弁当とポカリスエットを買ってきて薬を飲んで眠るとする。これを読んでくれた読者にほんの少しの幸せとほんの少しの喉の痛みが訪れる事を願って、また次回の更新を頑張りたいと思う。
ブログを書こうと思い立ってまだ三日も経っていない。それなのに昨日はブログを書いていない。三日坊主ならぬ一日坊主だ。私は自分の事を甘く見ていた。三日は続くだろうと思っていた。忘れていたわけではない、むしろ考え過ぎたと言っても過言ではないのである。
前回のブログを改めて読み返した。自分の文章の稚拙さに気づき、細かな修正を行い「これで完璧!」と読み返していると新たな違和感を発見、修正、発見、修正、終わることのない作業を繰り返した。書きたい事はあるのだが、適切な表現が浮かばない。自身の語彙力の無さを酷く痛感し「なんかもういいや」という思考に私の脳は完全にジャックされてしまった。そして、昨日はブログを更新するのをやめてしまった。やらない理由はやる理由を述べるよりも簡単だ。
私は、ブログを日記のような軽い気持ちで使いたいと思っていたのだが、もう一人の私がそうはさせてくれないらしい。私は稀代のカッコつけで、細かい人間で、完璧主義な一面も持ち合わせている。決して完璧ではないのに、何かに熱中してしまうとこだわらずにはいられない。それと同時に占いのようなもので多くの人に当てはまり、それほど変わったことでもないのもわかっている。個人のブログはそれぞれの書き方でいいのだから、正直な話をすると適当でなんの問題もない。それでも、悩んで書いていると普段の私では考えないような思考がたくさん生まれるのも事実である。
句読点の場所がわからない。こんな事は最近では考えたことなかった。真剣に考えたのは学生時代まで遡るかもしれない。仕事の自己PRですらここまで真剣に悩むことはなかった。これは、小説ではない、ので、どうでも、いい部分、でもあるの、だが、どうしても気になってしまう。このように適当に読点を使うとやはり変な感情になる。調べてみても完璧に使いこなすのは私には難しい。これは予想だが、あと4本ほどブログを更新したらどうでもよくなるだろう。
そして、全ての作家への敬意。私は、そこまで多くの本を読むわけではないのだが、本屋大賞くらいは目を通すかという自称読書家である。これまでは「ふっ、まぁ面白かったよ。」くらいの感情で読んでいたのだが、作家という人種はきっと句読点を使いこなしているに違いない。今まで、舐めた態度で本を読んでしまって申し訳ございませんでした。本を読む人はブログを書いてみる事をおすすめする。それぞれの作者が織りなす日本語の美しさ、表現に今まで以上に感動し、本がより一層輝いてみえるだろう。
お知らせのボタンを押して☆がついていることに嬉しさを覚えてしまったのだ。それからは1時間毎にお知らせを押していた。なんて愚かな行為だ。SNSで反応を求めていた私と何も変わっていない。「こんな機能をつけた運営は悪魔なのか!」と一瞬思ったが、それもまた私の性分である。気になるものは気になるのだ。どこかのYoutuberが「再生数は気にしなくていい、自分のやりたい事をするだけ」と言っていたが、半分本当なのだろう。私も書きたいことを書いているが、世の中には生活やお金の役に立つブログで溢れている。こんな私が世間の評価を求めるのは筋違いである。それでも、やはり誰かには読んで欲しい。この矛盾した感情も私なのだ。
[ALEXANDROS]というバンドをご存知だろうか。【ワタリドリ】で大ヒット、少し前では【閃光】がありとあらゆるショート動画に使われてたあのバンドだ。そのバンドの【真夜中】という曲がある。正確にいうと[Champagne]時代の曲なのだが、ゴミみたいなマウントはやめておこう。私の人生で大切な一曲。歌詞の一部を紹介させていただきたい。
「言葉」の数と「思い」の数はもう
二度と合わない所まで来た
それほどまで距離は離れてしまったのに
未だに 誰かと繋がりたい
故に こうやって歌にしている
一人だけ 真夜中に
私も未だに誰かと繋がりたいのだ。伝えたい事がまとまらず、何を言いたいかなんてわかったものではない。そのようなブログでもきっと誰かと繋がりたくて思いを綴っているのだろう。
ここまで読んでくれた人は相当な暇人か偏屈な変わり者に違いない。そんな読者にほんの少しの幸せが訪れる事を願って、また次回の更新を頑張ろうと思う。